一般社団法人出版梓会

出版梓会について 主な年間行事 梓会の組織 会員出版社一覧 梓会出版文化賞 梓会図書館通信

サイト運営協力:
http://www.nbkpro.jp
 

第38回梓会出版文化賞 受賞のことば


梓会出版文化賞株式会社 書肆侃侃房
同 特別賞合同会社 タバブックス
第19回 出版梓会
新聞社学芸文化賞
株式会社 千倉書房
同 特別賞株式会社 ブロンズ新社

■ 梓会出版文化賞 受賞のことば

株式会社 書肆侃侃房  代表取締役 田島安江

 株式会社書肆侃侃房の田島安江です。今日はこのような素晴らしい賞をいただけるということで呼んでいただきまして、本当にありがとうございます。
 私は福岡でずっと出版をやっていますけれども、何かがあると必ず付いて回るのが、「地方の出版社から」という形容詞です。今回、皆さんにお渡ししている20周年記念誌「本は旅立つ」にもありますように、確かに20年なのですが、出版に関わってからだともうたぶん40年以上にはなります。実際に20年前のことを思い出しますと、隔世の感があります。
...続きを表示/非表示

  福岡で毎年お正月に「福岡県出版業界新年の会」という、版元と取次、書店の方たちが集まる名刺交換会みたいなのがありますが、初めて参加したときに、100人以上いらっしゃる中でほとんど全てが黒っぽいスーツの男性で、私とあと1人ぐらいがそうではなかった。あの頃は今と違って女は、と言われる時代でした。皆さん、「九州は亭主関白で女性が社会に出にくい」と言われながらも、女たちもけっこう頑張っています。そういう意味で、私は今、女が、とか地方で、という言葉は必要なくなってきているといいたいです。
 実は昨日、友達と会いまして、ご存じの方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、「ラ・メール」という、吉原幸子さんと新川和江さんという女性詩人2人でつくった雑誌が10年間続いた話になりました。女だけで、ということで、様々な共感や批判があったね、と。その10年後の1993年に私は自分の出した詩集に「書肆侃侃房」という名前を付けたんです。その10年後に出版社をやることになるとは夢にも思っていなかったです。実際に出版社を始めようと思ったときに名前が出てこなくて、けっきょく、「もう、これでいいんじゃない」と始まったのが書肆侃侃房のスタートです。
 最初の頃、たまに東京の書店に行きまして名刺を出すと、まず「あら、福岡からいらしたんですか」と言われるので、「はい、そうです」。「じゃあ、名刺はいただいておきます」と言われて、注文をいただけることはまずなかったです。
 そういうことがずっと続いて、10年ぐらい経ったときに一つの転機がありまして、あっという間に「こんな出版社があるらしい」というのが広がったんです。あと、「たべるのがおそい」とか、「こんな変な名前の文芸誌」と言われたり。そこでまた少し名前が出て、その後短歌に。その頃は歌集を作っても、書店にまず置いてもらえないといわれた時代。もう10年ぐらい前ですけれどもそれでもめげず、歌集出版を始めたら、若い人の歌集は若い人が買ってくださることもあって、あっという間に全国の書店に情報が行くようになりました。SNSやブログの力があって、今こういうふうに書店に歌集を置いてもらえる時代になったのだと思います。
 今回、『左川ちか全集』がすごい評判になりましたし、いろいろなジャンルの本が新しくでてきています。ここに若い2人の編集者が来ていますけれども、もうそろそろ次の世代に行かないといけないと思っています。
 私はこの年齢で出版、編集をやっている人がほとんどいなくなっているということにふっと気付いたのですが、ここまで来たら死ぬまでやれるかなと思っていますので、どこかで「あ、田島安江というのはまだ編集しているんだな」と思っていただければうれしいです。
 書肆侃侃房は次の世代へと変わっていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

■ 梓会出版文化賞 特別賞 受賞のことば

合同会社 タバブックス  代表 宮川真紀

 こんにちは。タバブックスの宮川と申します。このたびは第38回梓会出版文化賞特別賞を頂きまして、誠にありがとうございます。正直、なぜうちが頂いたのかがなかなか分からかったのですが、受賞理由を先ほどしおりの「選考のことば」で拝見して、「労働やフェミニズムに関する良質な本を刊行。本に触れることの楽しさを伝えている」と書いていただきまして、大変驚きつつも、しみじみうれしく感じています。
...続きを表示/非表示

 この賞は出版社への顕彰とのことですけれども、小規模で実績のない弊社としては、ここまで支えてくださった方々への授賞なのではないかと感じています。うちで出してくださった著者、訳者の方、製作にご尽力いただいた皆さん、店頭に置いていただいた書店の方々、手に取って読んでいただいた読者の方々。そうした方々に、タバブックスを選んでも大丈夫だよと太鼓判を押してもらったような気がしています。
 タバブックスは2012年に1人で始めて、翌年法人化して、今年でほぼ10年になります。社名の「タバ」ですけれども、束ねる、束見本の束だったのですが、1人でやっているので、多くの皆さんのお力を束にして本を作っていければなと思って付けました。
 今も社員1人だけなので、今日は4名まで参加をとご連絡いただいたので、そんなにおりませんので、著者と訳者の方にお声掛けして来ていただきました。ありがとうございます。
 日頃より著者や外部編集者、アルバイト、スタッフの方などに、いろいろな面で仕事に関わっていただいています。会社の規模は小さいですけれども、そういう信頼できる束が大きくなって、チームタバブックスがどんどん大きくなっているなと感じています。
 タバブックスはモットーとして、「おもしろいことを、おもしろいままに本にして、きもちよくお届けする」というのを掲げてきました。これは著者の魅力やテーマの本質を最大限生かして、書店さん、読者の方々が必要と感じられる本づくりを目指すということで考えました。
 今回このような機会を頂いたので、10年間これを実践できたのか、振り返ってみました。比較的多くの方に読んでいただいた書籍を挙げてみます。
 労働と消費に人生を費やす、新自由主義的労働倫理から解き放てと説く、アナキスト政治学者の現代社会論。
 東日本大震災直後の不安な中、ワンオペ育児を強いられ、仕事、家族、恋愛のままならなさをつづった、写真家の数年間の日記。
 性暴力、痴漢犯罪、女性差別広告など、多くの人がふたをする問題を取材し、発信するライターのエッセイ。
 女性嫌悪殺人事件を機に女性差別を言語化し、自分たちを守るアクションを考えた、韓国の新しいフェミニズム書。
 お金や消費に自分の意思を乗せて、つまらない未来を変えようという、ミュージシャン兼投資家の提案。
 格差、貧困、分断の問題をフェミニズムの視点から読み解き、日常的な抵抗の方法を探る社会学者の考察。
 セクシャルマイノリティの著者が、コロナ禍での生活とともに社会や政治への疑問、怒りを発信した日記。
 こういった書籍、それぞれ方向性や構成、装丁などを工夫して、それを面白いと思っていただけたのかなと思います。
 ただ、肝心のテーマについては、「おもしろい」と言っていいのかと感じています。格差、孤独、暴力、差別、政治不信など、むしろこの社会が面白くないのではないか。そのことを正面切って発信する人たちの本を作ってきた。そうだとしたら、この方向に進んできて良かったなとあらためて思います。
 面白くない世の中に安寧しない。諦念しない。どんな人も本当に面白いと感じられる社会にするために、発信していく。次の10年の課題を頂いた。勝手に今、そう感じています。
 その課題にタバブックスがきちんと取り組んでいるか、皆さん注視していただけたら幸いです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

■ 出版梓会 新聞社学芸文化賞 受賞のことば

株式会社 千倉書房 代表取締役社長 千倉成示

 千倉書房の千倉成示です。このたび、19回目を迎えた出版梓会新聞社学芸文化賞をいただきましたこと、本当にうれしく思っております。まずは選考にあたってくださった新聞社、通信社各社の皆さまをはじめ、ご関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
...続きを表示/非表示

 千倉書房という会社は1929(昭和4)年、私の祖父、千倉豊が創業いたしました。当時は世界恐慌の真っただ中でしたが、幸い経営学や会計学の分野で大きな企画を成功させることができ、それによって、その後長く「経営学の千倉」と言っていただける基礎をつくったと聞いております。
 父の千倉孝は「経営学の千倉」という看板を引き継ぎつつ、大学の経営学部や商学部で使われるテキストを中心とした実直な学術書の刊行に打ち込み、「経営学の千倉」という名前を確かなものとしてきました。
 その先代が2004年に急逝しまして、当時、まったく出版に携わっていなかった私が、急遽、会社の舵を取ることになりました。
 約20年前になりますが、そのころには出版業界も厳しい状況を迎えておりました。特に小社のような学術書、教科書を主軸にしている版元は、少子化による学生の減少など、本当に苦しい状況でした。そうした厳しい環境の中でも何とか前進しなくてはいけないということで、それまで割と固まっていた著者、テーマ、読者層という3つの枠を取り払おうと考えました。小さい会社ではありますけれども、みんなでそこの枠を広げていこうということに決めました。
 すぐに結果が出るわけではありません。もちろん失敗の繰り返しなんですけれども、ようやく経営学、会計学といったジャンル以外に、歴史学、政治学、大人のための絵本や写真集などにもチャレンジし、一定の成果あげ、評価をいただくようになってきました。
 いずれも、20年ぐらいそれを続けてきて、試行錯誤の末に生まれた本によって出版梓会文化賞に応募し、今回、新聞社学芸文化賞という、光栄な賞をいただくことができたわけです。本当に感慨深い思いがします。そして20年かけて育ててきた喜びを感じております。
 小社は6年後に創業100周年を迎えます。次のステップとして、まずはそこを目指して、本日いただいた賞の喜びと誇りを胸に、これからも篤実な学術書を出版し続けていきたいとあらためて思いました。皆さまにおかれましては、ますますのご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。

■ 出版梓会 新聞社学芸文化賞特別賞 受賞のことば

株式会社 ブロンズ新社 代表取締役社長 若月眞知子

 ブロンズ新社の若月眞知子です。このたびは、出版梓会新聞社学芸文化賞特別賞をいただきまして、ありがとうございます。選考委員の皆さま、そして梓会の皆さまに、心よりお礼申し上げます。
...続きを表示/非表示

 この度の受賞は、2022年6月に出版した『戦争が町にやってくる』という絵本を評価していただいたと聞きました。集団的自衛権の行使とか、憲法を変えるなどと国会で囁かれるようになった10年ほど前から、私たちは平和と戦争の絵本を意識して出してきました。これで5冊目です。本来、児童書は、子どもと親に安心感をもたらす、生きることに希望が持てる本を出版したいと思っています。しかし、世界にはそうはいっていられない状況があって、著者のなかには、これだけは伝えておきたいと切実な想いをこめて創られた作品があります。
 この絵本を描いたのは、ウクライナのロマナ・ロマニーシンとアンドリー・レシヴという37歳の絵本作家です。ウクライナのリヴィウという、ポーランド国境に近いところに住んでいるカップルで、10年ほど前から世界の名だたる絵本賞を受賞しています。
 彼らが、2014年にロシアのクリミア侵攻を体験したとき、親子で戦争について話せる絵本がウクライナにはないと気づいて、緊急出版したのがこの絵本です。翌年、ボローニアのラガッツィ賞を受賞して、世界中から注目を集めました。私たちは出版当時も翻訳を検討したのですが、突然戦車が攻め込んでくる激しい地上戦シーンがあって、日本の親子に伝えるには温度差があると感じていました。
 実はこれは、私たちが彼らの本で契約した2冊目で、1冊目は今年の5月に出すことになっています。この戦争の絵本を先に出そうと思ったのは、昨年2月24日にロシアがウクライナに侵攻したというニュースを聞いて、真っ先に思い出したのがこの絵本だったからです。ウクライナ侵攻を予言したかの内容で、「いまこそ出すべきだ」と思いまして、翌日、エージェントに連絡をしました。私と同じように考えている方は他の出版社にもいらっしゃいました。そのとき、「これは通常の本のように、アドバンスがいくらで、原価率を計算してつくる本ではないのでは」と思いました。Old Lionというウクライナの素晴らしい出版社のために、そして素晴らしい作家のために、翻訳出版することによって、私たちは彼らを支援できると思ったのですね。
 ですから、私たちが出せる最大の金額を、アドバンスとして提示しました。Old Lionの創業者で、編集長の女性の社長さんから「ありがとう。今、社員の多くが国外に避難しようとしていて、この先、私たちが出版活動できるかどうかも分からないけれども、日本からオファーをしてくれたことを本当にうれしいと思う」と言ってくださいました。出版をすることによって、遠く離れていても、戦いのなかにいる人たちを少しでもサポートすることができると発見しました。
 著作権契約をしてから、訳者の金原瑞人さんは3日間で翻訳してくれ、私たちは3日間で編集を終え、それから1週間でレイアウトして、2週間後に印刷入稿しました。ですから、5月末には見本を出すことができたのです。
 著者の2人とは、メールで連絡することができて、編集中も出版後も、彼らはとても協力的でした。毎日警報サイレンが鳴ると、そのたびにシェルターに駆け込んで避難し、いつ解除されるか分からないという状況にいたにもかかわらず、日本の新聞社や、テレビ取材のために、オンライン・インタビューをいとわず、10回ぐらい引き受けてくれました。
 この冬も、8時間から12時間停電をするという毎日で、薪ストーブで暖をとっているそうです。けれども彼らは「私たちは絶対に負けない。自由のためにできることをしたい」と強い意思を持っています。
 梓会受賞のことも伝えましたら、「くれぐれも皆さんによろしく伝えてほしい」とメッセージがありました。
 この梓会で副賞として賞金をいただきました。今年、状況が許すならば、彼らを日本に招聘したいと思っていますので、渡航費用の一部として使わせていただきたいと思います。今日は本当に皆さん、ありがとうございました。

 

プライバシーポリシー 事務局 サイトマップ